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神社について

御由緒

御由緒

現在の青森市が、善知鳥村と呼ばれていた第十九代允恭天皇(いんぎょうてんのう)の御代、善知鳥中納言安方が此の北国を平定し、奥州陸奥之国外ヶ浜鎮護の神として日本の総主祭神である天照大御神(あまてらすおおみかみ)の御子の三女神を祭った事に由来する。 その後、坂上田村麻呂の東北遠征の大同二年(807)に再建。

御祭神

「宗像三女神」

多紀理毘売命 たぎりびめのみこと
市寸島比売命 いつきしまひめのみこと
多岐都比売命 たぎつひめのみこと

天照大御神と速須佐之男命との誓約(うけい)によって生まれた神々。天照大御神は三女神に、「汝三女神は宜しく道中に降居して、天孫を助け奉り、天孫に祭かれよ」(道中に降り、天孫をお助けし、天孫の祭祀を受けなさい)との神勅を示した。別名「道主貴」(みちぬしのむち)とも呼ばれ、道中安全・導きの神として登場される。(日本書紀) 家々の将来、社運の隆晶、一人一人の人生の「道主神」導きの神として篤く信仰される。

社格

・奥州陸奥国外ケ浜総鎮守

・青森総鎮守

・旧県社(明治6年9月に列せらる。)

御神徳

家内安全、交通安全、漁業守護、 商売繁盛、国家鎮護、方位除け 等

善知鳥沼について

昔は安潟といわれた。これに荒川・入内川が流れ込み、周囲5~6里(20~24Km)あり、浪舘・金浜・浜舘等の部落に達する湖沼であった。また、この潟に入る舟はいかなる暴風雨でも絶対に安全であった為、漁師に慕われた。しかし、横内城主堤氏が外敵を防ぐために荒川の流れを変え、堤川に流した事により次第に安潟は干上がり、干拓された。

年間行事

1月 元旦祭
新春祈祷 1月1日
新年特別祈願祭 1月4日〜
どんと祭 小正月(1月15日)
に近い日曜日
2月 徐厄祭 2月1日〜末日
節分祭 2月3日
3月 人形供養祭 春分の日
4月 入学祭
6月 善知鳥商工大祭 6月9日
三光稲荷神社例大祭 6月9日・10日
善知鳥中納言祭 6月10日
善知鳥龍神宮例大祭 6月16日・17日
夏越大祓 6月30日
7月 七夕祭 7月7日
9月 善知鳥神社大祭 9月14日・15日
10月 七五三祭 10月1日〜
11月30日
12月 御幣立神事 12月15日〜
年越大祓 12月28日
除夜祭 12月31日

うとう考

うとう

【善】徳の究極、すなわち神の意志に叶うこと 【知】神を祀ることによって、神より与えられるもの 【鳥】予知能力をもち、天空の神々と地上の世界を結ぶ神の使わしめ古代人は、ウトウ鳥が天空の神々より与えられた神意を地上の世界に使わし、 人々を善へ導く聖なるものと考え神使の象徴として善知鳥の字を充てた。

学術的なうとう

中型の海鳥(ウミスズメ科)で非常に個性が強く親子の情愛が深い保護鳥。嘴橙黄色.嘴峰線は黒く、繁殖期には上嘴基部に三角形の突起物がある。翼、尾は灰黒色。顔、腮、喉、頸、胸は灰かっ色で頭には二条の白色糸状飾羽がある。腹は白く腹側灰かっ色。

名前の由来

当社が「善知鳥」の字を充てた「善知鳥神社(うとうじんじゃ)」と呼ばれるようになった経緯については様々な口承、文献が存在している。

『青森古社寺誌』(明治28年7月21日)に掲載の『弘藩明治一統誌神社縁起録』 ウトウに善知鳥の字をあてたるは、葦をアシともヨシとも唱ふるより、アシには悪字を書し、ヨシには善字を書し、葦原の中に住む千鳥ゆえ悪千鳥、善千鳥と書し、善知鳥となった。
『烹雑の記』滝沢馬琴 文化八年(1811)  陸奥の方言に、海辺の出崎をうとうといふ。外浜なる水鳥に、嘴は太くて眼下肉つきのところ高くでたるあり。故にこれをうとふといふ。彼鳥の嘴に喩て、出崎をうとふといふか。出崎に比て彼鳥をうとふという 何にまれ、さし出たる処をうとふといふは東国の方言なり。
『アイヌ語地名辞典』西鶴定嘉著  烏頭 ウトウ u-toのuは、名詞の接頭語として場所を示す。 toは沼を意味する。よって、u-toは「沼のある場所」となる。
『郷土誌うとう第40号』中道 等 ウトウはウタ・オタ・アイヌ語の沙だ。ヤスカタは砂のある場所の陸の水神、ヤシオカタだろう。
新村 出(言語学者)  ウトウはアイヌ語で「突起」を意味する語であり、この鳥の嘴が突き出ているので「ウトウ」と呼ぶようになった。