home/観光情報/伝記・伝承

善知鳥にまつわる伝記・伝承

平安時代から現代に至るまで、多くの文化人・著名人が善知鳥神社について触れ、神社の由来、善知鳥という鳥、さらに善知鳥にまつわる伝記、伝承について残しております。 ここにその一端ではありますが紹介したいと思います。

西行法師

(さいぎょうほうし) [1118~1190]

「子を思う 涙の雨の 笠の上に かかるもわびし やすかたの鳥」 の歌を詠む。 平安末期の歌人。 俗名 佐藤義清(のりきよ)。もと鳥羽法皇に仕えた北面の武士で、藤原秀郷の子孫。 23歳で出家し、旅の詩人として、ほとばしり出る感慨を歌に託し自然、人生を叙情的に歌った。『新古今和 歌集』で一番多く歌がおさめられている。 歌集『山家集』一巻がある。

藤原 定家 

(ふじわら さだいえ)[1162~1241]

「みちのくの 外ヶ浜なる 呼子鳥 鳴くなる声は うとうやすかた」の歌を詠む。 鎌倉前期の歌人。 『新古今和歌集』撰者の一人で名は「ていか」とも呼ぶ。幽玄・妖艶、象徴的な歌風で新古今調の大成者。

世阿弥 

(ぜあみ)[1363~1443]

謡曲『善知鳥』を作る。 室町前・中期の能役者・能作者。 三代将軍足利義満の同朋衆として庇護をうけ、父の芸風に歌舞的要素と禅的幽玄美を加えて能を大成した。

徳川 吉宗

(とくがわ よしむね)[1681~1751]

享保四年(1719)将軍吉宗公がうとう鳥に非常に興味をもち同年10月17日、老中久世大和守より津軽藩へうとう鳥の探索が命ぜられ、同6年4月30日三羽を献上す。 江戸幕府八代将軍。 紀伊藩主徳川光貞の三男。1705年紀伊徳川家を継いだが、1716年家継の死後将軍となる。幕府の支配体制を補強し「中興の英主」と言われた。

高山 彦九郎 

(たかやま ひこくろう)[1747~1793]

寛政二年(1790)八月参詣す。 江戸中期の尊王論者。 上野国(群馬県)の人。寛政の三奇人の一人で国学に造詣も深い。水戸藩の藤田幽谷と交わり諸国を巡歴し尊王を説く。

菅江 真澄 

(すがえ ますみ) [1754~1829]

「長閑しな 外ヶ浜風 鳥すらも 世を安方と うたふ声して」 の歌を詠む。 32歳の天明5年(1785)8月18日善知鳥神社にて松前渡航の年月を占ってもらったところ3年待つべしのお告げがあり、その通り待ってから渡った。 江戸後期の民俗学者、歌人。本名 白井秀雄。三河国(愛知県)の人。三十歳で故郷を出て薬草や和歌の知識を伝えながら津軽、南部、松前を旅し、晩年は佐竹を中心に日記や随筆、地誌などを残した。

山東 京伝 

(さんとう きょうでん)[1761~1816]

謡曲『善知鳥』等を題材とし『善知鳥安方忠義伝』を記す。またこの物語が芝居に仕組まれ『世に善知鳥相馬旧殿』という名題で天保7年市村座で興行された。 江戸後期の戯作者・浮世絵師。 本名 岩瀬醒(いわせ さむる)通称伝蔵。画号北尾政演(きたお まさのぶ)。江戸深川の人。多芸多才で商才にも長じ、洒落本、黄表紙、合巻、読本に名作を残す。寛政改革で弾圧をうけ、以後読本作者に転向した。

滝沢 馬琴 

(たきざわ ばきん)[1767~1848]

文化八年(1811)『烹雑の記』随筆を記し、善知鳥神社の由来やうとう鳥について述べている。 江戸後期の読本作者。本名は興邦(おきくに)。江戸の人。『南総里見八犬伝』などの長編をつぎつぎに発表。歴史、伝説を取り入れた雄大な規模のもので、勧善懲悪を説いた。

森 鴎外 

(もり おうがい)[1862~1922]

明治15年10月5日、善知鳥神社に参詣す。 明治、大正時代の文学者、軍医。 本名は林太郎。島根県津和野の生まれ。ドイツ留学し帰国後、創作翻訳、ヨーロッパ文芸の紹介、啓蒙に活躍した。晩年は歴史小説、史伝を著した。又、軍医総監を経て陸軍省医務局長を務めた。

増田 手古奈

(ますだ てこな)[1897~1993]

「みちのくの 善知鳥の宮の 小町草」 の歌を詠む 青森県出身の俳人。 本名義男。青森の大鰐町の生まれ。医師のかたわら「十和田」の創刊やホトトギス同人。「客観写生」や「花鳥諷詠」を貫き、八句集。句碑34基残す。その他、県文化賞、県褒賞、勲五等瑞宝章を受けた。